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3代目笑福亭 仁鶴(しょうふくてい にかく、1937年〈昭和12年〉1月28日 - )は、大阪府大阪市生野区出身〔後に同府交野市へ転居した。〕の落語家である。 本名、岡本 武士(おかもと たけし)。血液型はO型。所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)。上方落語協会会員、吉本興業特別顧問、身長165cm、体重58kg。大阪府豊中市在住。 出囃子は「猩々くずし」または「だんじり」。妻は吉本新喜劇に在籍した永隆子。当たりギャグは「どんなんかな〜」。 == 来歴 == 大阪市立生野工業高等学校時代に友人らと訪れた古道具屋のワゴンセールで、浪曲や安来節のSPレコードに混じって売られていた初代桂春団治のSPレコードを購入。自宅にあった父の蓄音器で落語を聴いたのがきっかけで、前田達(のちの2代目桂枝雀)ら演芸好きの仲間と天狗連を結成する。 朝日放送(ABCラジオ)の素人参加番組に出演して才能が認められ、前田が3代目桂米朝に弟子入りした翌年の1961年3月中旬、素人参加番組の審査員だった6代目笑福亭松鶴に入門を懇願、4月1日に正式に弟子入りした(笑福亭鶴光・笑福亭鶴瓶などは弟弟子、明石家さんまは従弟弟子にあたる)。 その後、新世界新花月で初舞台の予定だった周囲から「笑福亭花丸と組んで(ステレオ落語のようなことを)やれ」と言われるも、師匠の松鶴が反対。そこに3代目林家染丸の勧めで吉本興業入りし(詳細は後述)、京都花月で初舞台を踏む。初舞台のネタは「くしゃみ講釈」であった〔ただし、京都花月での「くしゃみ講釈」は吉本における初舞台で演じたもの。正式な初舞台は、1962年4月の高島屋で行われた若手の落語会である〕。1967年4月、吉本新喜劇の女優永隆子と結婚する。 1960年代から1970年代にかけては、月亭可朝や桂三枝(現:6代桂文枝)と共に、吉本興業の顔としてテレビ、ラジオ、映画、レコードに多数出演したほか、花月劇場チェーンへの出演と大活躍し、『ヤングおー!おー!』(MBSテレビ)を通じて全国区のタレントとなった。1972年には『NHK紅白歌合戦』にも応援ゲストとして出演している。1973年に放映された「ボンカレー」(大塚食品)のCMで時代劇『子連れ狼』のパロディとして拝一刀に扮したことでも一世を風靡した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笑福亭仁鶴 (3代目)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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